風通しの良い関係性


毎日暑い日が続きますが、
公園を抜けての駅までの道は
どんなに暑い日でも木漏れ日が心地良いです。

また、家路につくときも
公園に入って樹々の香りに包まれると
深呼吸しながら「あぁ、帰ってきた」と思います。
ホッとしますね。


この木漏れ日の道が
自分に戻るリセットになっています。


ちょっとした幸せを
日々感じることができるのって
幸せの貯金箱に500円玉貯金しているような、
家事の合間に筋トレしていて
気がついたら階段上がるのが楽々だ!と感じるような、
積み立て感がありますね。


こういう小さな積み重なりが
免疫を高めたり
心の健康に役立っているように思います。







昨日は彫金教室の日でした。
新しい素材で新しいことをするときは
試行錯誤しながらは、いつものことですが
誰がが見てくれているだけで
独りでやっているときより、捗ります。


私は独りで仕事をしていることが多いので
たまに行き詰まる感じがするときがあります。
そいうとき、作業を見てくれている人がいてくれると
自分でぐるぐる考えることが止まるので
頭が休まります。


昨日は私が持ってきた素材で
お互いに同じ素材で制作をすることになりました。
使ったことのない素材は
使ってみることでわかっていくのですが、
その作業を共有してくださったのが嬉しかったです。


見ているよりやってみると難しいね…とか、
先生だからって、
初めてやることは初心者だったりするので、
そこで素直に感想を言ってくださることが、
懐が深い感じがしました。


私自身も同じ素材でも
自分が作るものと先生が作るものは、
切り口が違うから新鮮に感じるし、
それぞれの違いを理解しつつ
脳が学習しているようなプロセスでした。


相互に受け取るものがあって
自分の感性やスキルにプラスになっていく
そういう関係性を築くときは
自分の考えにこだわらずに
相手の声をよく聞けるかどうかが
ポイントかもしれないですね。


それが上手くなればなるほど
自分の世界の風通しは良くなっていきます。


セッションやワークショップでも心がけているのは
一方的に上から教えるというのではなく
相互に発見や成長や調整がなされる関係性です。


行き詰まったなと思ったときこそ
自分の殻にこもらないで
信頼できる人に助けを求められるといいですね。




















可能性の種

梅雨明けしてから毎日夏らしいお天気が続いています。
朝起きて庭に出ると、
子供のころの夏休みのような空気に包まれて
晴れやかな気持ちになります。


週末は梅雨の期間中できなかった庭仕事をしました。
生い茂っていた雑草を抜いているとき、いつも思うのは
土の中にはどれくらいの種が埋まっているのだろうということ。


それが条件が整えばどんどん出てくるから
魔法のような感じがします。


土が見えてくると
またこの庭に何を植えようか…と
今の時期に種を巻くものは何があるのかとか
秋の庭はどんな風にしようかとか
いろいろプランを練ったり
見えない設計図を書いたりと
可能性の庭が広がってきます。


実際の庭に被せるように
いろんな次元の庭があります。


可能性は無限にあって
自分の希望や
家族の希望や
現在の植生の状況や
お天気や…
いろんな要素が掛け合わさって
どんな庭になっていくのか楽しみです。


自分だけの望みだとつまらないというか
奥行きや幅がない感じがして
掛け算をしていくと
もっともっと広がっていくように思えます。


むしろ、何もない状態の方が
イメージが膨らんで楽しいです。




このひまわりは鳥に餌としてあげていた種から出たものです。
バードフィーダーから落ちた種から
芽が出ていたのを見て、
近所の子供たちが植えたいというので、
いくつかちっちゃなポットに植えました。
小さいけれど花が咲き出しましたよ。


すごいですね。
ただ土に埋めただけでも
花が咲くなんて。


種の持つ力
土の力
潜在的なものの中から
表出してくるものを見ると
心が躍ります。





肥料をあげていないので
ひょろひょろしていたり
小さな花だったりしますが、
それでもちゃんと花を咲かせる
ブループリントが種の中にあるんだな…



自分の中も大地と同じで
可能性の種はたくさん眠っていているのでしょうね…


そのどれかが芽を出してたり
花を咲かせていたり
実が成っていたりしているような気がします。


問いかけをして
具体的に見ていくのも面白いです。






固まらないで繊細に表現し続ける


先日、銀座のメゾンエルメスで、サンドラ・シントの
「コズミック・ガーデン」
を観にいきました。
宇宙やスターダスト、ブルー、すべてが私の好物でした😊


このインスタレーションは、2週間くらいで
サンドラ・シントとそのパートナーと
仲間によって制作されたそうです。

何人かでドローイングしているのに、
誰が描いたとか、わからない
ぜんぶ繋がっていて
違和感がなかったです。
それがほんとに心地良かったです。


深い深い瞑想状態になった時に
個が溶解していき
無意識に溶け込んでいるような感じかな。


感じたのは、すべてきっちり決め込まれていなくて、
全体的なテーマや流れはあって
それを共有して作品が作られていることです。


どこから始まるのかなと思っていたら、
上の写真のような、何枚かの絵があって、
そこが核のようになって始まっていくようでした。






私は完成形があって、
それをそのままきっちり形にすると思うと、
なんだかとても息苦しく感じるし、
退屈に感じることが多いのです。


すべてのものは毎日、変化しているから、
その瞬間を素直に出せているものを見たときに
自然や宇宙を感じるのかもしれません。


たくさんの瞬間が時間を構成しているのかな。


揺れているものが好き。
身体から出てくるままに描いていく。
それでいいんだなと
背中を押してくれたような気がしました。


固まっていないし
息がつけるし
風通しがいいです。


自分が何者とか、
やる前に決めなくてもいいし、
どんどん揺れながらも
アウトプットし続けたら、
自然に形になっていくし、
それは自然で無理のないものになっているのだ思います。


テーマなんかもそう、
あんまりきっちりしなくていいんだよね、って思いました。





主張が強かったりするのも、
奥行きがないように思えるし、
いろんな余白や余韻があるものは
平面の作品でも立体的ですね。



切りとり方について考えてみる


沖縄では梅雨明けしたようですが、
関東地方は、梅雨らしいお天気が続いています。


雨が降っていても、庭に出てみたくなるし、
しばらく軒先でたたずんで、植物を眺めたりしているだけで、
朝起きたとき不調に感じていたのが、スッキリしてきます。


雨が降れば、雫が美しくて…
ふわふわしたスモークツリー
ワサワサ茂っているフェンネル
ハスの上で踊っている水玉


寄ってみていくと、細かいところの美しさに気づきます。
生命の躍動感のようなものを発見します。


雨だから鬱陶しいとか
濡れるから嫌だとか
そういう思いも持っているのですが、
昨日まで蕾だった花が咲いているとか、
キュウリが1日ですごく大きくなることとか、
そういう変化を目の当たりにして、
ワクワクすることの方が多くなりました。



美しさや幸せも、見つけようとすると
見つかるものではないかと思います。



写真を撮るようになってから、
「切り取りかた」によって、
その辺にある見慣れた雑草でも、
すごく美しく見えることに気がつきました。


対象が普遍的な価値を持つものではなく、
見ているものの視点によって、
変化し続けるものであるというのは、
量子力学の実験を思い出しました。





近くに季節の花が美しい小道があります。
そこに咲いているアーティーチョークの花です。





環境とか、人間関係とか、いろいろな要因があるのは当たり前です。
その中で、どう切り取っていくのか、
考えてみると何が自分にとって大事なのかがわかります。


意図することや選択することも似ていますが、
「切りとる」と思うと、とても具体的に感じますし、
今の瞬間により焦点が当たる感じがします。


今の瞬間の切りとり方が、
自分が夢中になっていることで、
それを繰り返していくことだけやっていれば、
とてもシンプルですよね。


頭で考えるというよりは、
五感を使って切りとる方が、
具体的で現実的な気がします。




心が充足するひとときを


先週末に急に思い立って蛍を観に行きました。
美しい里山が広がっている場所で、
空を眺めたり散歩をしながら、
日が沈んで蛍が舞うのを待ちました。



田んぼに映っている空の色もだんだん変化してきました。
その辺りは今どき珍しく
街灯も何にもないところでした。
このロケーションがとても良かったです。


静寂とつながって
暗い中で過ごしていると
だんだん目が慣れてきました。


暗闇の中にいることって
何年ぶりだろう…


子供が小さい頃に夜の山を歩いたことがありました。
その時も最初は暗くてまったく見えなくて
恐る恐る進んでいきました。
そのうち次第に目が慣れていくと、
山の起伏なども分かるようになったことを
思い出しました。


ときおり離れたところで車のライトが光るのですが、
光がないところでは、
その光がぼぉーっと大きく広がります。


トトロの里山のような世界
懐かしいような
異次元の世界に入ってしまったような
夢の中にいるような感じがしました。





蛍は少ないながらも
暗闇の中に浮かんでは消え
浮かんでは消え…


時間が流れていきました。


「この瞬間」をそのまま体験することを
私はどれくらい経験しているのだろうか…


普段体験しているのは
自分の頭の中の世界がほとんど
願いや夢や希望や不安や恐怖…
生存や自分のアイデンティティ
ほかと比べることによって生まれてくる不満や不安


頭の世界は
維持する、守ろうとする
そのことは大事なことですが
変化を恐れる
失うのを恐れる
そこから逃げようとすることばかり意識していると
身体が緊張して縮こまってしまいます。
私たちは現実ではなく
信念の世界で生きていることがほとんどです。


心が充足するひとときは
頭でっかちになってコチコチになった自分を緩めて
バランスへ導いてくれるもの
しばらく経ってからそう思いました。


充足感が何をもたらすのか
それを言語化するのが難しいのですが
生きる気力やエネルギーチャージがなければ
どんどん枯れていくんだなと実感しました。



夢の世界はどっちなんだろう




蛍の光を楽しめるのも
暗闇の世界があるから





ストロベリームーン、帰り道で
どこから昇ってくるのかなと思っていたら、
山の陰になって見えなかっただけでした。





人生をシンプルに


今年も合歓の木が咲き始めました。
夕方になるとその辺り全体が
合歓の木の甘い香りに包まれて、
本当に幸せな気分になります。


*****
昨日は久しぶりの対面セッションでした。
やっぱり、直接お会いしてセッションするのは、
楽しいですね。


コロナで「人との距離感」というものが
大きく変わりましたし
いろいろ考えさせられることが多いです。


オンラインになったり、
人と直接関わることが少なくなったことで、
ある程度、人との距離が取れるようになって、
気持ち的に楽になった人もいるでしょう。


逆に、直接的な触れ合いが少なくなって、
寂しく感じる人もいます。


また家族との距離が近くなりすぎて
きついなと思うこともあったり。


オンラインで繋がれるので、
海外や地方の方々との距離も
以前よりは近く感じたりもします。


距離感は人によって違うのが当たり前ですし、
時と場合によっても変化します。


その中で主体的に自分が心地良いと思う距離感を
選んでいくことができたり、
自分なりに試行錯誤しながらも
適切な間隔を見つけていけるといいですね。


*****

このところ自分に注意を向けることを続けてきて、
シンプルに生きることが
少しずつですが、できるようになってきました。


「他の人がどう見ているかという視点が抜けてきた」
というのが大きいです。
これがあると自分のことがよくわからなくなります。


たとえば鏡に自分の姿を映したとき
自粛生活で運動しないから太ったな…
洋服が似合わないから痩せなくちゃ…
そんなことを無意識に考えていたりします。


自分を査定していることが多いな…と思いました。
だれが査定しているの…?


自己不全感
完璧主義
足りてないという意識

肩をすぼめて生きてきたような
そもそもこの感覚はどこから来たの?


他人と比べてダメ出しをするというのは、
多くの人がやっていることではないでしょうか?


これってもともと自分が持っていたものなの?
そういうことがどんどん浮かんできては
「もういらない」と手放していきました。


自分の感覚を信頼する
自分の思いをちゃんと受け止める
それぞれに真実があるなかで
自分にとっての真実を追求する



野の花のように自然体で
威張ったり威圧しているわけでもなく
へりくだっているわけでもなく
ただそのままに
無理のないような姿勢で立っていたい。
そして風に揺れながら
しなやかに倒れない
そんな生き方がいいなぁと思っています。





植物から学んだこと

関東地方はこのところ雨が多くて、
気温も低く湿度も高いので、
ちょっと過ごし難い日々が続いています。


この時期に、蒸れるのがダメな植物は
溶けるようにしてなくなっていきます。

ちょうど春の球根も掘り上げたり、
ビオラやネモフィラ、デージーなどの春の花も
終わりを迎えています。


こういう切り替えの時期、
今年はタネを取ってみようかと思っているものもあって、
なかなか次の季節にすっきりと移動できません。
全部抜いて断捨離したいような気持ちと
勢いは衰えてもまだ咲いている花を見ると、
もう少し待とうという気持ちになります。


その辺りで、「なんとなく今」というタイミングが訪れます。
ここまで待つのが、ちょっと焦れったいのですが…
自然に成るように成るタイミングに従っていく
流れに従うのって、こんな感じかなと思ったりもします。




そんな中で、今年はトマトが元気です。
今まで3度くらいミニトマトを植えてみたのですが、
支柱も立てずに放置していたので、
梅雨の時期に枯れてしまいました。
今回は、うまく収穫できますように。






こちらはきゅうりの花です。
今日見たら花が咲いていました!
今年初めて植えてみたきゅうり。
ツルが絡むようにネットも張ってみました。


実は野菜はあまり育てたことないので、
なんとなく億劫になることが多いのです。


そんな中でも、うまくいかないことや失敗なども
すべて経験として自分の中に蓄積されていくんだなって
植物から学びました。


だからやりたいことはたとえ失敗してもやったほうが、
次のためにもなるんだなって、言い聞かせています。
そのうち慣れてくるしね。





こちらはダリアです。
このダリアも3年目になります。

ずっと以前はダリアは1年で枯れるものと思っていました。
冬の間は地上に出ている部分は枯れていますが、
翌年の遅い春にめきめき伸びてきて、
蕾がたくさんついて花を咲かせます。


1年目、2年目、3年目。
そうやって時を重ねていくうちに
だんだん植物の性質や
適応している場所がわかったりして
うまく育つようになりました。





こちらのアマリリスは10年くらい前から
鉢植えで育てていたものです。

庭のあっちこっちに移動したために、
そんなに元気ではないですが、
それでも花が咲きました。

ちょっとかわいそうなんだけれど、
健気に咲いてくれて嬉しいです。



こちらの矢車菊は、種から植えてみました。
雨で倒れていますが、花が次々と出てきています。
ほとんどピンクの花ばかり。

種の袋の写真には青や紫や白の花もあったのに…
あれ?と思うこともよくありますが、
そんなものかなと思うことが多いです。

*****


植物から学んだことはいっぱいあります。
実践していって、失敗もして、
それが経験になって、また工夫していく
そのプロセスの中で、学んでいくものが好きだし楽しいです。


植物は身近にあって生きていて、
お世話をすると反応がすぐ返ってきます。
環境について、地球について、健康ついてなど、
いろんなことを教えてくれます。





みんな同じ


今朝の公園です。
シャガが群生しているのが、
白く輝いていました。


いつもよりは人も多くて
在宅ワークをしている人や
外出を自粛している人たちが
近くの公園で過ごしているようでした。



走ったり、歩いたり、ストレッチしたり、
筋トレしたり、ボール遊びしていたり、
花や鳥の写真撮っていたり、
散歩したり、お花見したり…
さまざまな過ごし方を見ました。



こういう状況なので
どの人も不安になることもあると思います。
それと同時に、今の状況の中で
やれることをそれぞれ工夫して過ごすうちに
楽しいこと、幸せな瞬間もあるんだということを
実感しています。


時間ってあるのだろうか…?
そのことについて、
考えることが多いです。


どんな状況であれ、今、この瞬間に
無意識に選択していることについて
吟味していく必要があります。




野芥子です。
野芥子は庭に出ていると、
大きくなるので抜いてしまうのですが、
こうやって眺めると
枝や蕾や葉の造形が
力強くて美しいなと思います。

野芥子の綿毛はタンポポとは違って、
毛皮のような密度があって好きです。



花大根が群生している場所。
書いていて、私は群生しているものが好きなことに
気がつきました。


花もちいさな花が集まって、
球状になっている形が好きですし、
タンポポの綿毛のようなものも
群生だなと思いました。



お茶の木の新芽です。
確か食べられるんだったな…と思い
少し採って食べてみたら、
最初は苦味が強いのですが、
あとから爽やかな新茶の香りふわっと広がりました。



ソメイヨシノはもう終わって、
なかには咲き遅れた花がちらほらあるくらいですが、
今は八重桜が満開です。


八重桜の花びらはやさしくて
ストレスやトラウマを受け入れて包んでくれるような気がしました。
花の中を歩いていたら、
とても幸せな気持ちになりました。


植物のエネルギーや地場のエネルギーは
そこにいるだけで、自然に癒されていき
抱えているものが解放されます。


この瞬間、幸せだと思えることがとてもありがたいし、
それは私だけではなくてみんなも同じ
という不思議な一体感を感じました。


閉塞感も感じるのですが、
同時にみんな同じという感覚も
より増してきたように思います。








調和の世界


花桃が満開になりました。
桃の花はおひな様の飾りにもなっていますが、
桜とは違った子供のようなかわいらしさがありますね。
今朝は風が強くて冷たかったけれど、
気持ちの良いお天気でした。




こちらは、大島桜
白い桜で香りがいいです。
桜餅のような香り。
ぼんぼりのようなかたちに咲きます。



つくしも伸びてきました。
先週の日曜日に近くの原っぱで少し採っていただきました。
春の野草は勢いがあってエネルギーに満ちています。
少量でいいのですが、あれば食べてみてください。

スーパーでも、ふきのとう、タケノコ、木の芽、タラノメなど、
春のものが出ています。
春のエネルギーを身体に取り入れましょう。



水鳥ものんびり、ひなたぼっこ。



たんぽぽは出てきたばっかりで
まだ花の茎が短いのに
もう綿毛ができていました。

綿毛が好きなので、
これからしばらく楽しめます。


*****

私はいろんな要素が集まって
美しい造形になっているのを見ると
とても幸せな気分になります。


たとえば、桜の木
ひとつの桜の花が
集まってぼんぼりのようなかたちになって
それが、枝の先にたくさんついていて
太い枝や幹につながっていて
大地に根づいています。


よく見てみると
自然の造形物や美しい景色は
たくさんのものが集まっていたり
つながっています。


その中で人間が作った建造物などが
自然と調和していると
なにかとても安心感や心地よさを感じます。



たんぽぽの綿毛のひとつひとつが集まって
全体を構成していています。
ひとつの綿毛はそれぞれ違うけれど似ていて
特別に目立つものはないけれど
調和がとれていて美しい。



自分だけがということではなく
調和の世界
そこに意識を向けたら
世界の見えかたも変わってくると思います。
世界は自分の信念体系を映していて
調和を求めれば調和が見えてくると思います。










自然のサイクル


昨日、書きかけで置いておいた記事です。
このところ植物の勢いがすごくて、
今日は桜が開花していました。
ものすごい変化の時期ですね。

途中まで書いていたので、そのまま掲載します。


*****

昨日はとても暖かかったので、
公園にはたくさんの人たちが楽しそうに過ごしていました。


お花見のころの飲んで騒いでという喧騒はなくて、
ほのぼのとした雰囲気でした。
こういう楽しみ方もいいですね。
穏やかな時間が流れていました。



桜の蕾もピンク色が出てきました。




こちらは花桃の蕾です。
ひとつの木に白やピンクや赤の花が咲きます。


レジャーシートを広げているお母さんと子供たち
お弁当を食べたり、勉強をしたり、遊んだり
ゆったりした時間が流れていました。



*****

物事がこう着状態に陥って
にっちもさっちもいかなくなったとき
これだけは手放せないと思っていることが
その行き詰まりの原因だったりすることが
多いかなと思います。


一旦受け入れて、手放してみると、
光が差してきたように
物事がよく見えてきたりします。
そして動き出していったりするんですよね。


なんとなく、そんなことを思いながら歩いていると
今までのたくさんの失敗が
自分の中では腐葉土のような栄養になっているように思いました。


それは新しい春に向けての
養分になる豊かな土壌になっていきます。


ひとつひとつの葉っぱが
ひとつの選択や行動だとしたら、
新しい芽が出てきたり、
古い葉っぱは落ちていったりするなかで
幹は成長しているんですよね。


自然のサイクルは繰り返し巡ってきて
ダメージを与えることもあるけれど
豊かな滋養にを与えています。



柔らかな芝生を踏んで歩きながら、
新緑や花の蕾を眺めていると
そのうちに自分もまた
自然のサイクルの一部であって
生かされていることに気がつきました。






calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

search this site.

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 自分の感覚を信頼する
    ミヤ
  • 自分の感覚を信頼する
    memi
  • 自然の中で
    ミヤ
  • 自然の中で
    memi
  • 自然の中で
    ミヤ
  • 自然の中で
    memi
  • 記録することが楽しい
    ミヤ
  • 記録することが楽しい
    sho
  • ちょっとしたイメージワークで
    ミヤ
  • ちょっとしたイメージワークで
    memi

recommend

links

profile

書いた記事数:861 最後に更新した日:2020/09/29

others

VINAAMUU facebook

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM