心が充足するひとときを


先週末に急に思い立って蛍を観に行きました。
美しい里山が広がっている場所で、
空を眺めたり散歩をしながら、
日が沈んで蛍が舞うのを待ちました。



田んぼに映っている空の色もだんだん変化してきました。
その辺りは今どき珍しく
街灯も何にもないところでした。
このロケーションがとても良かったです。


静寂とつながって
暗い中で過ごしていると
だんだん目が慣れてきました。


暗闇の中にいることって
何年ぶりだろう…


子供が小さい頃に夜の山を歩いたことがありました。
その時も最初は暗くてまったく見えなくて
恐る恐る進んでいきました。
そのうち次第に目が慣れていくと、
山の起伏なども分かるようになったことを
思い出しました。


ときおり離れたところで車のライトが光るのですが、
光がないところでは、
その光がぼぉーっと大きく広がります。


トトロの里山のような世界
懐かしいような
異次元の世界に入ってしまったような
夢の中にいるような感じがしました。





蛍は少ないながらも
暗闇の中に浮かんでは消え
浮かんでは消え…


時間が流れていきました。


「この瞬間」をそのまま体験することを
私はどれくらい経験しているのだろうか…


普段体験しているのは
自分の頭の中の世界がほとんど
願いや夢や希望や不安や恐怖…
生存や自分のアイデンティティ
ほかと比べることによって生まれてくる不満や不安


頭の世界は
維持する、守ろうとする
そのことは大事なことですが
変化を恐れる
失うのを恐れる
そこから逃げようとすることばかり意識していると
身体が緊張して縮こまってしまいます。
私たちは現実ではなく
信念の世界で生きていることがほとんどです。


心が充足するひとときは
頭でっかちになってコチコチになった自分を緩めて
バランスへ導いてくれるもの
しばらく経ってからそう思いました。


充足感が何をもたらすのか
それを言語化するのが難しいのですが
生きる気力やエネルギーチャージがなければ
どんどん枯れていくんだなと実感しました。



夢の世界はどっちなんだろう




蛍の光を楽しめるのも
暗闇の世界があるから





ストロベリームーン、帰り道で
どこから昇ってくるのかなと思っていたら、
山の陰になって見えなかっただけでした。





人生をシンプルに


今年も合歓の木が咲き始めました。
夕方になるとその辺り全体が
合歓の木の甘い香りに包まれて、
本当に幸せな気分になります。


*****
昨日は久しぶりの対面セッションでした。
やっぱり、直接お会いしてセッションするのは、
楽しいですね。


コロナで「人との距離感」というものが
大きく変わりましたし
いろいろ考えさせられることが多いです。


オンラインになったり、
人と直接関わることが少なくなったことで、
ある程度、人との距離が取れるようになって、
気持ち的に楽になった人もいるでしょう。


逆に、直接的な触れ合いが少なくなって、
寂しく感じる人もいます。


また家族との距離が近くなりすぎて
きついなと思うこともあったり。


オンラインで繋がれるので、
海外や地方の方々との距離も
以前よりは近く感じたりもします。


距離感は人によって違うのが当たり前ですし、
時と場合によっても変化します。


その中で主体的に自分が心地良いと思う距離感を
選んでいくことができたり、
自分なりに試行錯誤しながらも
適切な間隔を見つけていけるといいですね。


*****

このところ自分に注意を向けることを続けてきて、
シンプルに生きることが
少しずつですが、できるようになってきました。


「他の人がどう見ているかという視点が抜けてきた」
というのが大きいです。
これがあると自分のことがよくわからなくなります。


たとえば鏡に自分の姿を映したとき
自粛生活で運動しないから太ったな…
洋服が似合わないから痩せなくちゃ…
そんなことを無意識に考えていたりします。


自分を査定していることが多いな…と思いました。
だれが査定しているの…?


自己不全感
完璧主義
足りてないという意識

肩をすぼめて生きてきたような
そもそもこの感覚はどこから来たの?


他人と比べてダメ出しをするというのは、
多くの人がやっていることではないでしょうか?


これってもともと自分が持っていたものなの?
そういうことがどんどん浮かんできては
「もういらない」と手放していきました。


自分の感覚を信頼する
自分の思いをちゃんと受け止める
それぞれに真実があるなかで
自分にとっての真実を追求する



野の花のように自然体で
威張ったり威圧しているわけでもなく
へりくだっているわけでもなく
ただそのままに
無理のないような姿勢で立っていたい。
そして風に揺れながら
しなやかに倒れない
そんな生き方がいいなぁと思っています。





植物から学んだこと

関東地方はこのところ雨が多くて、
気温も低く湿度も高いので、
ちょっと過ごし難い日々が続いています。


この時期に、蒸れるのがダメな植物は
溶けるようにしてなくなっていきます。

ちょうど春の球根も掘り上げたり、
ビオラやネモフィラ、デージーなどの春の花も
終わりを迎えています。


こういう切り替えの時期、
今年はタネを取ってみようかと思っているものもあって、
なかなか次の季節にすっきりと移動できません。
全部抜いて断捨離したいような気持ちと
勢いは衰えてもまだ咲いている花を見ると、
もう少し待とうという気持ちになります。


その辺りで、「なんとなく今」というタイミングが訪れます。
ここまで待つのが、ちょっと焦れったいのですが…
自然に成るように成るタイミングに従っていく
流れに従うのって、こんな感じかなと思ったりもします。




そんな中で、今年はトマトが元気です。
今まで3度くらいミニトマトを植えてみたのですが、
支柱も立てずに放置していたので、
梅雨の時期に枯れてしまいました。
今回は、うまく収穫できますように。






こちらはきゅうりの花です。
今日見たら花が咲いていました!
今年初めて植えてみたきゅうり。
ツルが絡むようにネットも張ってみました。


実は野菜はあまり育てたことないので、
なんとなく億劫になることが多いのです。


そんな中でも、うまくいかないことや失敗なども
すべて経験として自分の中に蓄積されていくんだなって
植物から学びました。


だからやりたいことはたとえ失敗してもやったほうが、
次のためにもなるんだなって、言い聞かせています。
そのうち慣れてくるしね。





こちらはダリアです。
このダリアも3年目になります。

ずっと以前はダリアは1年で枯れるものと思っていました。
冬の間は地上に出ている部分は枯れていますが、
翌年の遅い春にめきめき伸びてきて、
蕾がたくさんついて花を咲かせます。


1年目、2年目、3年目。
そうやって時を重ねていくうちに
だんだん植物の性質や
適応している場所がわかったりして
うまく育つようになりました。





こちらのアマリリスは10年くらい前から
鉢植えで育てていたものです。

庭のあっちこっちに移動したために、
そんなに元気ではないですが、
それでも花が咲きました。

ちょっとかわいそうなんだけれど、
健気に咲いてくれて嬉しいです。



こちらの矢車菊は、種から植えてみました。
雨で倒れていますが、花が次々と出てきています。
ほとんどピンクの花ばかり。

種の袋の写真には青や紫や白の花もあったのに…
あれ?と思うこともよくありますが、
そんなものかなと思うことが多いです。

*****


植物から学んだことはいっぱいあります。
実践していって、失敗もして、
それが経験になって、また工夫していく
そのプロセスの中で、学んでいくものが好きだし楽しいです。


植物は身近にあって生きていて、
お世話をすると反応がすぐ返ってきます。
環境について、地球について、健康ついてなど、
いろんなことを教えてくれます。





揺れるから中心を知る


自粛期間中は、リトリートのように
自分の感覚に注意を向けることをしていました。



規制の枠の中ではなく
暗中模索しながらも
自分なりの方法を見つけていくということを
ずっとやってきたし、
サポートもしてきましたが、
ここにきてもう一度
何もない状態で深めたいと思いました。



大きくうねるように変化している流れの中で
自分自身を再構築するのを
フェルデンクライスがサポートしてくれているような気がして
レッスンを受講し始めました。


フェルデンクライスは、もう15年くらい前から
ときどきATM(グループレッスン)を受講していました。



フェルデンクライスは目を閉じて
ガイドの声に従って動いていくので、
他の人がどういう動きをしているのかがわかりません。


動くときに頑張らなくてもいいし
無理をしなくてもいいし、
むしろ頑張りすぎたり
上手くやろうとか意識を使いすぎたらダメで
心地よい範囲で動きます。


また動きがとてもユニークでクリエイティブなのです。



自分を大切にすることや
自分を信頼することを
頭で理解するのではなく、
身体に落とし込んでいくには、
こんなことから始めたら、
感覚的な理解が深まるような気がします。



レッスンのいちばん最後に
立った状態で身体を前後左右に、
軽く揺らしたりして自分の状態をチェックします。
そして、自分のいちばん快適な位置を見つけます。
体感的には軸のような感じでしょうか。


これは個人的な感想ですが、
自分の軸を感じると
頭上がぽっかり開いたような感覚になり、
宇宙を繋がって、
自由にそこに出ていける
開かれた宇宙と
開かれた自分が一体になっている
自分がなくなっていく感覚
そもそも自分なんてないのかも
とか、心地よく動いていると
いろんなことが浮かんできます。



どの人にもその時の良い位置やポイントがあって、
そこは、その時にいちばん楽で快適な位置だけど、
また、次の時には、微妙に位置が変わっているかもしれません。



常に変化し続けているのです。
ここに気がつけるのが、フェルデンクライスの好きなところです。



この姿勢が正しいとか
多くの人に当てはまることも多いけれど、
それに合わせようとして、
身体を緊張させたりすることなく、
どこにも余分な力がかからずに
楽に居られる位置を知ること
これが大切です。


いつも正しくて、
その正しさはどの人にも正しくて、
答えはいつもひとつで、
というのが、私の性には合わないのです。


白黒思考のほうがわかりやすいかもしれないし、
その世界を失うのが恐ろしいという人も多いかもしれません。



この時期に自分自身に注意を向けてきて
自分の感覚を信じて従うことは
できていたように思っていたけれど、
まだまだ情報に揺らされて
自分にダメ出しをしていたようにも思いました。


いろいろ負荷がかかっていたのですね…
気がつくとそこから解放されるプロセスが始まります。


揺れるたびに中心がわかるって
ブレたり失敗するたびに、
ここではないということがわかるのに似ています。
そういうデータが集まってくると成長が進むような気がします。




















対面セッション再開します。



月曜日に緊急事態宣言解除の発表がありましたので、
6月から対面セッションが可能となります。


しばらくはコロナウイルスとの共存をしていきながら、
新しい生活様式になっていくかと思います。


以下のことをお守りいただきますようにお願いします。
セッション中はマスクをご着用ください。
もし体調不良や発熱がある場合には、
ご来所をお控えくださいますようにお願いいたします。



これからしばらくは感染を抑えるため
最大限できることをやっていきたいと思います。
ご理解とご協力のほどお願いいたします。


遠隔セッションは引き続き行っています。
skype、zoom、お電話などでお受けしていますので、
ご相談ください。




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